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2008年11月 9日 (日)

台湾、はじめの一歩

(注)この記事は、旧サイトで 2006/07/12 に書いたものです。

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▲旅先でもらった名刺にはその土地の思い出が凝縮されているような気がします。

 自己紹介にもある通り、私は元々、台湾に地縁や血縁があったわけでもないし、台湾と関係のある仕事をしているわけでもありません。いわば勝手に台湾が好きになって、勝手に台湾にハマってしまったクチですね。

 実際、1997年の夏に渡台するまで、"ナマ"の台湾人を見たこともなければ(街中でそれと分からないまますれ違っていた、みたいなケースはあったかも知れませんが…)、面と向かって話をしたりするような機会も全くありませんでした。なので、私が「台湾黄昏地帯」のウェブサイトを開設した直後、まだ1日のアクセス数が二桁にも達していない頃のことですが、初めて台湾の鐵路迷、それもこの世界では非常に著名な方から、英文で「Hello」という題名のメールをもらったときは、もう心臓がバクバクして、どうやって返事を書いたものかと、英語の辞書を片手に一晩中パソコンの前で思案した記憶があります。

 現地で資料として鉄道に関する書籍や地図、CD、ビデオなどをわんさと買い込んでくるため、最初の数回は台湾へ行くときよりも、日本へ帰ってくるときの荷物のほうがはるかに巨大でした。しかし、ウェブサイトを通じて交友関係が広がるにつれ、次第に"行き"の荷物の分量も膨らんできました。旅行中、台湾の知人に渡すための「お土産」が新たに加わったからです。

 渡航先にお土産を持って行く相手がいる…それまで単なる日本人観光客の一人に過ぎなかった私にとって、このことはとても大きな変化でした。初めてお土産の入った紙袋を手に提げて成田空港の出国ゲートを通過したとき、いつもよりちょっぴり誇らしげだったことを覚えています。自分と台湾との距離が少しだけ近付いたような気がしました。

 最初に台湾の方から名刺を頂戴したのは、現地の某旅行会社のスタッフからでした。当時は台湾に知り合いなんて誰もいなかったので、ただ嬉しくて、嬉しくて、旅の途中で折れたり、汚れたりしないようにガイドブックの間に挟んで大切に日本に持ち帰りました。もちろん、営業用の名刺ですから、同じモノが台湾で何万枚と配られ、渡した本人もとうにそのことを忘れてしまっていると思いますが、私にとっては記念すべき最初の一枚です。

 今でもその名刺は私の旅の宝箱の中に大事にとってあります。

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