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2008年11月

2008年11月28日 (金)

千葉交通ボンネットバス(下)

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2008年11月27日 (木)

千葉交通ボンネットバス(上)

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 11/9 から 11/23 までの期間限定で復活した千葉交通のボンネットバス、ちょこっとだけ見てきました。

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2008年11月19日 (水)

成田新高速鉄道

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▲順調に工事が進む成田新高速鉄道(成田市北須賀)。

 私が昭和58年に関東に引っ越してきたとき、千葉ニュータウン内を走る鉄道は北総開発鉄道(北総鉄道)の北初富~小室間のみ。営業成績はお世辞にも好調とは言えず、成田空港方面への延伸は計画はあっても、実現することは絶対にないと思っていました。

 それが千葉ニュータウン中央、印西牧の原(印西草深)、印旛日本医大(印旛松虫)と小刻み延長を重ね、残る成田市土屋(成田空港高速鉄道接続点)までの10.7kmの区間も、第三セクターの成田高速鉄道アクセスの手によって現在建設中。沿線では真新しい高架橋が次々と出現し、子供の頃の「夢」のルートが現実ものになろうとしています。

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2008年11月18日 (火)

0系新幹線

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▲今年は0系新幹線、名鉄パノラマカーと往年の名車が相次いで引退の時を迎えます。

 旧「麗しの島えとせとら」のコンテンツをブログに移行するにあたって、今までの画像サイズではテンプレートに微妙に合わないことが判明。結局、すべての画像を再スキャンすることになりました。

 その過程で発見したのがこのカット。前後のコマを見ると、2000年1月の九州出張時に撮影したものらしい。仕事で移動している最中にカメラを向けることは滅多にないので、この当時からすでに「おっ!」と思う存在だったのでしょう。

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2008年11月16日 (日)

移行作業終了

 途中、風邪をひいたりして一時中断がありましたが、サイト上にあった「麗しの島えとせとら」(旧版)のコンテンツのブログ移行作業が一段落。試行錯誤していたデザインも、イメージカラーのグリーンを基調にオレンジ(山吹色)のアクセントと、そこそこ満足できるものに落ち着きました。

 コメント欄はどうしようかなと思ったのですが、記事ごとに情報があちこち分散するのはあまり好きではないので(数もたかだか知れているし、どうせならクリック一発でコメントを読めるようにしたい)、既存の一行掲示板に集約する形にしました。何やら管理が大変そうなトラックバックはなし、当面は相互リンクもなしです。

 一方、タイマー投稿の機能は便利ですね。事前に公開の日時を設定しておけば、後は機械が勝手にやってくれます。前もって記事を書きためておくこともできるので、忙しいときなどに重宝しそうです。

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2008年11月13日 (木)

郊外を走るサトウキビ鉄道にアクセスする方法を考える

(注)この記事は、旧サイトで 2007/12/05 に書いたものです。

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▲サトウキビ鉄道の積込場のように、目的地が人里離れた郊外にある場合、いかにしてそこへたどり着くか。

 斗南~虎尾間のバスの運賃を調べようと思って、久しぶりに台西客運のサイトを覗いてみたところ、新たに路線別の時刻表が掲載されるようになったんですね。一昔前まで地方を走るバスの運行経路を知るだけでも大仕事だっただけに、つくづく便利な世の中になったものだと思います。

 せっかくの機会なので、虎尾糖廠の同安農場や龍巖農場、馬光農場といった市街地から遠く離れた場所に位置する積込場に、タクシーを使わずに行けるかという、以前からの命題について検討してみました。サトウキビ鉄道の約1kmほど南を併走する縣道158號(甲)線に、虎尾からバス路線の設定があれば理想的なんですが、駄目なようなら北側の縣道156號線から徒歩で積込場を目指します。

 台西客運のサイトを調べてみると、該当する路線は龍巖経由の崙豐行きと同褒忠行きの2本。しかし、いずれも1日1往復のみの運転で、早朝に虎尾の町に出てきて、夕方に戻るダイヤなんですよね。これでは畑の真ん中で野宿でもしない限り、ちょっと撮影には使えそうにありません。

 一方、サトウキビ鉄道の線路を挟んで反対側を走る縣道156號線からのアプローチは、虎尾より宵仁[厂/昔]経由の麥寮行きのバスに乗って大有で下車。そのまま真っ直ぐ南(褒忠方面)へ向かう道路を歩くと、約3kmで龍巖農場に到達します。本数も1時間に1本程度は確保されているようで、こちらのルートはそれなりに活用できるかも知れません。

 また、虎尾の町は通らないのですが、同じ台西客運で西螺から崙背、龍巖を経て北港へ行くバスもあるんですね。一昨年、朋友のGP7500さんとタクシーで龍巖農場へ向かっているとき、道中で一度だけ路線バスに遭遇したのですが、それがこの路線だったのでしょうか。

 ところで、雲林縣を中心に高速バス事業を営む日統客運のサイトを見ると、台北発の四湖経由北港行きのバス(四湖線)が、崙背から省道19號線を南下する際、馬光農場付近でサトウキビ鉄道を横切るっぽい感じです。でも、まさか線路のすぐ横で客扱いをしてくれる…なんてことはないですよねぇ。

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2008年11月12日 (水)

TAIWAN BANANAS

(注)この記事は、旧サイトで 2007/10/29 に書いたものです。

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▲バナナを房の単位で買うと、表皮にいつも決まって付いてくる一枚の小さなシール。子供の頃、このバナナラベルが貼られた特別な1本を巡って、兄弟間で争奪戦になった思い出があったりしませんか?

 私がまだ小さかったときのこと、日常生活で一番身近だった「台湾」はバナナでした。いや、今や世界でも有数の半導体立国となった台湾に対するイメージがバナナとは、何と失礼な!と思われるかも知れませんが、その頃に小学校で使われていた社会科の教科書には、北朝鮮=工業国、韓国=農業国なんて書かれていました。もちろん、インターネットも携帯電話もなく、海外旅行が現在ほど一般的なものでなかった時代の話です。

 当時、くだもの屋の店頭で売られていたバナナは、デルモンテ(Delmonte)やチキータ(Chiquita)といった、欧米の巨大バナナ資本のブランドを冠したものが多数を占めていました。別の言い方をすれば、どこで栽培されたものか名前を見ただけでは分からない、"国籍不明"の商品群です。

 そんな中で生産国をずばりブランド名とした台湾バナナはちょっと目立つ存在でした。特に子供心を惹き付けたのは、バナナの表面に貼られていた小さなシール(通称「バナナラベル」)。台湾産のバナナの場合、台湾の島の形を背景にアルファベットで「TAIWAN BANANAS」と記されたシールだったことをよく覚えています。この「TAIWAN」のバナナラベルが、私にとっての最初の「認識台湾」でした。

▼デルモンテのバナナラベル。流通量が多く、かつ安価だったこともあり、我が家でバナナといえば、ほとんどの場合はこれでした。
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▲でも、ごくごく稀にデルモンテ以外のバナナが食卓に上がることもあったんですよね。台湾バナナはそんな貴重なブランドの一つ。ラベルもデルモンテにはないプレミア感がありました。

 その台湾バナナ、日本市場ではフィリピンや中南米産の安価なバナナに押されて、このところずっと苦戦が続いているようです。日本バナナ輸入組合による統計によると、フィリピンやエクアドル産のバナナの単価は60円/kgなのに、台湾産は120円/kg、品質の違いはあるにしても、確かに高いといえば高い。

 しかも、台湾の経済成長に伴い、今まで台湾産の農作物に対して、日本政府が適用していた優遇関税が、2000年4月をもって撤廃されたことから、ますますその差は広がるばかり。台湾バナナにとっては厳しい世の中になりました。かつて台湾を象徴する存在だったバナナも、サトウキビ産業と同様、このまま「落日」を迎えてしまうのでしょうか。

 私の行きつけのスーパーでも、台湾バナナはレアな商品となって久しいのですが、先日、珍しく果物売り場に大量に積んであるのを見かけて、速攻でゲットしました。

 台湾バナナは、他の地域のバナナと違ってとってもデリケート。輸送中の衝撃にも弱いらしく、日本に到着する頃には、すっかり黒く変色してしまっていることが多いのですが、それでもあの甘美な味と「TAIWAN」のバナナラベルに惹かれて、たまに店頭で売っているのを見つけると、ついつい買ってしまいます。

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2008年11月11日 (火)

霧雨の中の邂逅

(注)この記事は、旧サイトで 2007/03/08 に書いたものです。

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▲わずかな情報だけを頼りにサトウキビ列車を追っていたあの頃、走行中の原料列車に遭遇する機会は非常に貴重なものでした。

 私が台湾の鉄道を追いかけ始めて間もない頃、まだ現地に知人が少なかったため、サトウキビ列車の撮影はすべてが手探りの状態でした。

 果たしてこの広い台湾のどこにサトウキビ鉄道が走っているのか。「糖廠」の文字を探して台湾の地図を穴が開くほど見つめてみたり、移動中に原料列車のホイッスルらしき音を耳にすると、それが聞こえた方向と時間をメモ帳に記して、運行ダイヤを推測したりしていました。

 今、私がカメラを手に立っているのは、仁徳糖廠本州線が台湾鐵路局の線路と立体交差している地点から少し歩いた踏切の脇です。過去にここで撮影された原料列車の写真を見ての訪問ですが、実際に現地へ行ってみると、細いレールは所々で泥濘とゴミに埋まり、へろへろのガタガタ状態。この線路は生きているのか、すでに死んでしまったのか、直前まで不安と期待が交錯していました。

 しかし、サトウキビ鉄道の正確な運行情報を持ち合わせていない私は、この線路が現役であることを信じて、いつ来るやも知れぬ列車をただ待つより他に仕方がありません。冬の冷たい霧雨が足下を濡らす中、遠くにサトウキビ列車のホイッスルが聞こえないかと、全神経を両の耳に集中させます。

 どのくらい時間が経ったでしょうか。線路際を渡る風の向こうに、ふと「パーッ」「パーッ」という、かすかなホイッスルを聞いたような気がしました。やがて線路の彼方にぽつんと、小さなオレンジ色の"点"が現れ、しばらくするとまたホイッスル。「来た…、か?」 カメラを握る手に思わず力が入ります。

 遠くに見えていたオレンジ色の点は、ゆっくりですが確実に大きくなり、ついにはそれが機関車の前面であることがはっきりと認識できるようになりました。カメラのファインダーを覗くと、編成の先頭に立つ日立牌が、ゆらゆらと左右にボディを揺らしながら、こちらへ走ってくる様子が分かります。

 待ちに待ったサトウキビ列車との出会い。せっかくのチャンスをふいにしないよう、手元のカメラの設定を何度も、何度も確認しました。露出は正しいか。ピントは合っているか。構図は問題ないか。

 サトウキビ列車はもう私のすぐ目の前にまで迫っています。高まる鼓動、緊張のあまり震える両手。そして、予め狙っていたポイントに機関車が達した瞬間、私はカメラのシャッターを切りました。

 撮影を終えてホッと一息つく私。その横を数多の甘蔗車が、ガチャガチャという単調な音をたてて、次々と通り過ぎていきます。そして、日立牌の牽くサトウキビ列車は、ちょっと物憂げな感じのホイッスルだけを残して、雨に煙る景色の彼方に消えるように去っていきました。

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2008年11月10日 (月)

高雄がガーデン・シティー

(注)この記事は、旧サイトで 2006/11/07 に書いたものです。

▼駅貼りのポスターに残る「高雄がガーデン・シティー」の文字。
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▲営業運転に就いた[口都][口都]列車。「高雄がガーデン・シティー」の部分は上からシールを貼って訂正してありました。

 2006年春まで高雄臨港線を走っていた「Do Do Train」こと、[口都][口都]火車。イベント列車らしく、車体には様々なイラストやロゴが描かれていますが、このうち中文の「高雄是座花園城市」に対する和訳が、当初は「高雄がガーデン・シティー」だったことを知っている方は少ないのではないかと思います。

 しかし、台湾鐵路局もさすがにこれは少し変だと考えたのでしょう。後に該当部分は「高雄は花の都」とこなれた表現に置き換えられ(「高雄がガーデン・シティー」の上にシールを貼って訂正してありました)、この不思議な味わいの日本語が人々の目に触れることはなくなりました。

 我々は「は」と「が」の使い分けをほとんど無意識に行っていますが、日本語を外国語として学習する人にとっては、"フィーリング"ということで片付けるわけにはいきません。以前、日本に語学留学していた台湾人の学生に、日本語の助詞「は」と「が」の区別について、学問的な見地からレクチャーを受けたことがあります。その論理的な分析に感嘆すると同時に、日本語の助詞はけっこう厄介な存在なんだな~と思いました。このあたりは、日本人にとって英語の前置詞を使いこなすことが難しいのと相通ずるモノがあるのかも知れませんね。

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▲台湾の街角に溢れる愛すべき日本語看板たち。

 ところで、エキゾチックな雰囲気の日本語といえば、やはり台湾の街角に溢れる正体不明、摩訶不思議な看板たちのことについて触れなければならないでしょう。私が初めて台湾を旅行したとき、その自由奔放なスタイルは非常に刺激的でした。

 しかし、最近では台湾でも外国語のクオリティーに対する消費者の要求が厳しくなり、ただ日本語で書いてありさえすればOKという時代は終わったような気がします。また、日本人の側も目が肥えてきたというか、某匿名掲示板の意図的な誤字、当て字の世界に慣れたせいもあって、「マシサージ」や「パチソコ」程度のネタでは驚かなくなりました。

 もっとも、地方都市へ行くとまだまだ怪しげな物件があったりします。私が過去に遭遇した中で最強の看板は、雲林縣の北港鎭で見つけたそれ(写真参照)。下に書かれた「はかりつうはん」はともかく、「しぶヤくぃかギりヘヤ」のほうは、一体何のことを言っているのか、仮名文字を眺めただけでは全く見当も付きません。

▼しぶヤくぃかギりヘヤ…これだけでは何を言わんとしているのかさっぱり分かりません。
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▲[衣庫]の字が日本語読みだとなぜか「かギり」になってしまうのも謎といえば謎ですね。

 横に掲げられた漢字混じりの看板と見比べて、初めて「しぶヤ」が「渋谷」、「ぃかギり」の「ぃ」が「衣」であり、どうやらカジュアルファッションを扱うお店であろうことが分かります。

 でも、よくよく目を凝らしてみると「しぶヤ」の「しぶ」の字が「渋(澁)」じゃなくて「渉」だったりするんですよね。見れば見るほど実に奥が深い看板です。

 今でも台湾の田舎町には私たちがまだ発見していない"珍"看板が眠っているのかも知れない…そんなことを考えながら台湾の地図を眺めると、未知の土地に対する好奇心がいやが上にも高まってきます。何も見どころがないように思える場所だからこそ何かある。観光客が素通りする都市ゆえにあえて行く。さぁ、あなたも台湾各地の無名の町や村へ「お宝発掘」の旅に出かけてみませんか?

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2008年11月 9日 (日)

台湾、はじめの一歩

(注)この記事は、旧サイトで 2006/07/12 に書いたものです。

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▲旅先でもらった名刺にはその土地の思い出が凝縮されているような気がします。

 自己紹介にもある通り、私は元々、台湾に地縁や血縁があったわけでもないし、台湾と関係のある仕事をしているわけでもありません。いわば勝手に台湾が好きになって、勝手に台湾にハマってしまったクチですね。

 実際、1997年の夏に渡台するまで、"ナマ"の台湾人を見たこともなければ(街中でそれと分からないまますれ違っていた、みたいなケースはあったかも知れませんが…)、面と向かって話をしたりするような機会も全くありませんでした。なので、私が「台湾黄昏地帯」のウェブサイトを開設した直後、まだ1日のアクセス数が二桁にも達していない頃のことですが、初めて台湾の鐵路迷、それもこの世界では非常に著名な方から、英文で「Hello」という題名のメールをもらったときは、もう心臓がバクバクして、どうやって返事を書いたものかと、英語の辞書を片手に一晩中パソコンの前で思案した記憶があります。

 現地で資料として鉄道に関する書籍や地図、CD、ビデオなどをわんさと買い込んでくるため、最初の数回は台湾へ行くときよりも、日本へ帰ってくるときの荷物のほうがはるかに巨大でした。しかし、ウェブサイトを通じて交友関係が広がるにつれ、次第に"行き"の荷物の分量も膨らんできました。旅行中、台湾の知人に渡すための「お土産」が新たに加わったからです。

 渡航先にお土産を持って行く相手がいる…それまで単なる日本人観光客の一人に過ぎなかった私にとって、このことはとても大きな変化でした。初めてお土産の入った紙袋を手に提げて成田空港の出国ゲートを通過したとき、いつもよりちょっぴり誇らしげだったことを覚えています。自分と台湾との距離が少しだけ近付いたような気がしました。

 最初に台湾の方から名刺を頂戴したのは、現地の某旅行会社のスタッフからでした。当時は台湾に知り合いなんて誰もいなかったので、ただ嬉しくて、嬉しくて、旅の途中で折れたり、汚れたりしないようにガイドブックの間に挟んで大切に日本に持ち帰りました。もちろん、営業用の名刺ですから、同じモノが台湾で何万枚と配られ、渡した本人もとうにそのことを忘れてしまっていると思いますが、私にとっては記念すべき最初の一枚です。

 今でもその名刺は私の旅の宝箱の中に大事にとってあります。

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2008年11月 8日 (土)

台北捷運のエスカレーターは東京式 or 大阪式?

(注)この記事は、旧サイトで 2006/02/01 に書いたものです。

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▲エスカレーターを歩いて上る人、ステップ上で立ち止まる人。

 過去に仕事で仙台に赴任したことがあるのですが、その際に一つ「あれ?」と思った点があります。近年、鉄道の駅にエスカレーターが設置されるケースが多くなりましたが、急ぐ人(=エスカレーターを歩いて上る人)と、あまり急がない人(=ステップ上で立ち止まる人)がいるので、自然発生的に速度の違う2つの人の流れができたりしますよね。

 興味深いのは「エスカレーターの左右どちらが"急ぐ人"優先になるか」が、東京と大阪で異なること。一般的に東京は左側が立ち止まる人で右側が急ぐ人、大阪は反対に左側が急ぐ人で右側が立ち止まる人だと言われています。

 その原因は様々なものがあるようですが、大阪の場合は、阪急梅田駅に「動く歩道」が設置されたときに急ぐ人のために左側を空けるように誘導した、あるいは大阪万博の会場で欧米の左側優先の習慣に合わせたことを起源とする説、一方、東京については誰が始めたというわけではないのですが、高速道路などで左側が「走行車線」、右側が「追越車線」になっている交通ルールがエスカレーターでもそのまま定着した…なんて説が有力なようです。

 私自身は、東京と大阪の双方の都市に住んだ経験から、漠然と東日本は右側が急ぐ人優先、西日本はその逆だとずっと思っていました。ところが、仙台では左側が急ぐ人で右側が立ち止まる人…つまり「大阪式」なんですよね。大阪のように何か特別な理由があるのか、それとも自然にそうなったのか、詳しい経緯はよく分かりません。

 台湾でも台北捷運淡水線が台北車站まで延伸されたときに、ホームに本格的な長大エスカレーターが登場。他の駅と違って乗降客が桁違いに多いだけに、果たして右側優先の「東京式」、左側優先の「大阪式」のどちらに軍配が上がるか注目していました。ちなみに、交通規則をベースにした場合、台湾の事情は少々複雑で、台北捷運は右側通行ですが、それ以外の鉄道は原則として左側通行。さらに道路交通は右側通行となります。

 この問題、最初は利用者の自主判断に委ねられていたようですが、まもなく事業者側からルールを統一するための"達"が出ました。それは「急ぐ人のために左側を空けよ」というもの。以来、台北捷運では「大阪式」がエスカレーターを利用する際の"お約束"となっています。

 その定着率は驚くほど高く、電車が到着するたび、乗客が機械仕掛けのような正確さでエスカレーター上にずらっと整列する様は、端から見ていても実に壮観。ここでステップの左側に思わず立ち止まっちゃう人は、東京から台湾に来たばかりの日本人か、台北捷運のローカルルールを知らない"困ったちゃん"です。

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2008年11月 7日 (金)

惜別!藍色的舊型客車

(注)この記事は、旧サイトで 2005/02/03 に書いたものです。

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▲2005年1月10日を最後に台北站から姿を消すことになった藍色の旧型客車。

 別れはいつも突然にやって来ます。思えば平溪線から藍色の柴油車が消えたときもそうでした。ローカル線用にステンレス車体の新型ディーゼルカーが登場した1999年夏、今のうちに平溪線に残る旧型気動車をしっかり撮影しておかねば…と心に決めて渡台したのですが、肝心の平溪線は大雨による土砂崩れで長期運休。翌年、復旧した平溪線を再び訪ねたときには、藍色のディーゼルカーの姿はすでになく、代わりにピカピカの「冷氣柴客」が涼しげな顔で運用に就いていました。

 2005年1月10日のダイヤ改正で、西部幹線の彰化以北と宜蘭線の長距離普通列車が廃止されるらしい…このニュースを聞いたのは2004年の暮れのことでした。これは、日本から来た多くの鐵路迷を惹き付けてやまなかった藍色の旧型客車が事実上、台北站から姿を消すことを意味します。

 都市部を中心に普通列車(非對號列車)のいわゆる「捷運化」が進んでいる中、これらの非冷房、かつデッキ付きの客車列車が、早晩「電車」に置き換えられるのは以前から予想されていたことでした。にもかかわらず、旧型客車の写真って意外に撮ってないんですよね。結局、「廃止」の2文字を目の前にして思うことは、平溪線の旧型気動車が消えたときと同じ。

 「嗚呼、あのときにもっとちゃんと撮っておけばよかった…」

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2008年11月 6日 (木)

ビニールシート再び

(注)この記事は、旧サイトで 2004/06/23 に書いたものです。

▼せっかくの"ふかふか"シートもここまでみすぼらしくなってしまっては…。
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▲更新後の姿。更新前と比べて見た目の清潔感が格段にアップしました。

 2003年夏の渡台時に平溪線と集集線に乗った際、DR1000系の一部車両で座席が、自強號のようなモケット(布)製から、復興號や旧型客車と同じビニール張りのものに交換されていました。今まで食べ物のシミなどが表面に付着してどうしようもない状態だったので、さすがの台湾鐵路局も日々のメンテナンスに手を焼いたんでしょうか。

 ビニール張りのシートは座ったときに蒸れる、見た目が安っぽい等の理由で一般の評判は芳しくないようですが、座面にジュースなどをこぼしても雑巾ですぐに拭けるので、個人的にはそんなに捨てたもんじゃないと思っています。同じことは自動車のシートにも言えるのですが、汚れたときに水拭きができて、かつ通気性のいいシートがあるとベストなんですけどね。

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2008年11月 5日 (水)

幻の簡餐車...

(注)この記事は、旧サイトで 2004/04/30 に書いたものです。

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▲営業開始を間近に控えた簡餐車(PPD2500型)の車内。

 プッシュプル自強號の簡餐車(ビュッフェ)は、関係者の期待を一身に集めて、2003年正月の西部幹線に颯爽とデビューしました。しかしながら、いざオープンしてみるとこれが全くの鳴かず飛ばずで、運営を担っていた新東陽が早々と撤退。時刻表上から簡餐車を示す記号が消え、わずかな期間だけ発行された食堂車マーク入りの「旅客列車時刻手冊」も貴重なものになってしまいました。

▼短期間で時刻表上から消えてしまった自強號の食堂車マーク。
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▲高雄站に停車中の簡餐車。出入口に燦然と輝く食堂車マークが誇らしげです。

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▲反対側の側面。窓のない部分がビュッフェ、あとの半分は座席車となっています。

 自強號のビュッフェが営業的に成功しなかった理由は様々ですが、やはり一番の要因は価格設定のミスにあったのではないかと思います。ちなみに、オープン当初(2003年1月1日現在)の簡餐車のメニューですが、

[女及]香[火局]飯(クリーミードリア)  100元
鮭魚炒飯(鮭チャーハン)  80元
[火局]白酒蛤蜊義大利麺(スパゲッティボンゴレ)  125元
茄汁義大利麺(スパゲッティナポリタン)  100元
燻鶏三明治(チキンサンド)  80元
綜合燒賣(シュウマイ)  60元(6個入り)
煙燻二翅(手羽のスモーク)  50元(4個入り)
[火考]厚片吐司(トースト)  30元
手工餅類(自家製クッキー)  50元
爆米花(ポップコーン)  35元
[上/下]布奇諾[口加][口非](カプチーノコーヒー)  60元
義大利濃縮[口加][口非](エスプレッソコーヒー)  60元
美式[口加][口非](アメリカンコーヒー)  45元
冰[口加][口非](アイスコーヒー)  60元
特調[女及]茶(ミルクティー)  35元
花茶類(フラワーティー)  60元
現[木窄]水果汁(フレッシュジュース)  60元
水果切盤(カットフルーツ)  50元

※翻訳協力 citycatさん、花東線迷さん

 台湾鐵路局の駅構内にセブンイレブンが進出するなど、場外で激しい"便當"戦争が勃発している中、電子レンジで加熱しただけのチャーハンやパスタが100元、コーヒーが60元では、いくら何でも高すぎですよね。

 台湾のインターネットの掲示板で、ある鐵路迷が書いていた一節が印象に残っています。「割高なビュッフェで食事をとるために、混雑する車内をかき分けて、わざわざ遠く離れた簡餐車までやって来る乗客がいったいどこにいるのだろう?」

 現在、プッシュプル自強號の簡餐車は、荷物車同然の扱いで編成の端っこに寂しくぶら下がっています。しかし、大金を投じてせっかく作った簡餐車。営業を希望する事業者を再度募るなど、ビュッフェ本来の機能を生かした何か良い活用方法はないものでしょうか。一人の鐵路迷の願いです。

▼台湾の物価水準を考えると、やはりパスタ100元、コーヒー60元というのは、少しばかりふっかけすぎのような気がします。
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